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2015年 11月

物の見方とか、認識の仕方というのは、大事で、

15年くらい前に居酒屋で、お昼のアジフライ定食を食べている時(タルタルソースが、絶品)、

隣のテーブルで、大工さん達が話をしていた。

隣の人に向かって、「あれだよなぁ。人柄良くたって、腕がなけりゃダメだよな。」

という話が聞こえてきた。

それまでの私は、整骨の世界で、鬼や悪魔という人達と接していたので、(優しい人がいる所もありました。)

(ストレスで、お腹が激痛になったり、足が曲がったりしました。)

どう考えても理不尽な事が多く、人を大事にしないそんな考えかたは、ダメと強く思っていました。

その時の私の考えは、技術より、人間性と思っていました。

ところが、大工さんの話を聞いて、人柄が良くたって、腕がなけりゃダメというのが、そうだなと思いました。

家がいい加減に造られたら、家に住む人が困るなと思いました。

そこで、技術も、人間性も両方大事だなと思いました。

頑固ジジイという人がいるとします。

その人が協調性というのを学ぶと、頑固ジジイが、こだわりを持ったプロフェッショナルになります。

その姿勢に、人間性を大事と思った人が、仕事は、徹底して頑張るというのを、学び、

私の仕事もしっかりしながら、協調性のとれている人になると思います。

ヌーソロジーでは、数学や、物理学で、力の関係や、認識の仕方を表しています。

私は、算数の段階を超えると、怪しい人なので、理解に時間がかかるかなと思いますが、

こういう風に、客観的に、示して頂くと、それを、普段の日常生活で、実践してみて、

そこで、腑に落としていく事が出来るのかなと思います。

昔、意味も分からず公式を覚えて、それで、どんどん解いていくうちに、あっ、そういう意味か?

という感じかなと思います。(まだ、あまり理解していないのに、書いています。)

半田さんとお話して、いいなと思ったのは、今持っている考えかたとか、概念があったとして、それと反対の考えかた

とか、反対の概念を統合する。その裏に統合されたのの分解されたものを持つ。

これが、一単位。

例えば、黒と白がある。

これが、お互いが正しいを主張すると、争いが生まれる。

黒さん、白さん仲良くしましょうよ。

仲良くなる、これが、統合。

でも、裏側に、。黒さんは、黒さんの良さ、白さんは、白さんの良さがある。

これが、中和。(なんとなくの理解です。)

どんなものがきても、反対のものがきても、仲良くという姿勢がどんどん広がるループの感じがした。

半田さんと、冠光寺流の師匠は、話した事があるそうです。

繋がっていますね。

ヌーソロジーは、コミュニケーションが苦手な方が、そのメカニズムを理解すると、

人生がどんどんうまくいく気がします。(せっかく写真を撮ってもらったのに、写っていなかった。残念。)

 

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日曜日に半田さんを囲む会というのに、大阪まで行ってきた。

半田さんは、ヌーソロジーというのを、提唱されている。

普段、みんなが、同じ物理空間にいて、そこに、私がいて、あなたがいてと思っている。

その認識の仕方は、はたしてどうなのか?

という人の認識のメカニズムを、解説しながら宇宙を考える哲学である。

今、私なりの理解での感想を書くとすると、みんなが心と思っている(内面)と、いろんな出来事(外面)

この内面と外面と思っているこの両方の全てが、その本人の宇宙である。(ヌーソロジーでは、内面、外面が逆。)

普段、心が穏やかな時は、出来事もいい感じ。

出来事もいい感じの時は、心も穏やか。

怒っている時は、出来事も嫌な感じ。

出来事も嫌な感じの時は、怒っている。(正確な表現では、怒りたい出来事の時の方いいけど。

嫌な感じだと、泣きたいとか、悲しみも出てしまう。)

だから、頭にくる出来事があると、怒るというのは、分かりやすい。

逆に、怒りを持っているから、頭にくる出来事が起こる。(我の無い状態の時、相手の感情が入ってくるとかは、除く。)

内面と外面が一致している。

内面と外面は、別物と思っているかもしれないが、そこについて、どんどん分かれば分かる程、人生はより自由になる。

そうして、内面と外面の全てを分かった時、本当の自分を知り、何でも創造出来る。

あくまでも、その本人の宇宙なので。(まだ、実証してないので、実証出来た時に、報告します。)

これで、やっと、自分を知るという所だそうです。

私も以前は、そうでしたが、コツコツ地道に一歩、一歩、日常生活を送りながら、

一方で、宇宙の根本が分かれば、人生は楽なのになぁと思っていた時期があります。

前者は、頑張る!後者は、楽したい!

努力、根性で生きてきた私は、以前、治療の師匠や、人生の師匠と努力比べしていた時期がありました。

師匠達と比べると、まだまだだなと思いました。

でも、師匠達に質問してみると、苦しんで努力している分けでないというのが、分かりました。

その時の私から見ると、必死に頑張っていて、そうなったと思っていましたが、

聞いてみると、楽しいそうです。

不器用だけど、努力、根性で頑張ってきたので、以前の私は、頑張らない人は嫌いでした。

私は、無理してでも、頑張っているのに、なぜ、頑張らないのと思っていた時もあります。

仕事は、頑張らなきゃいけないという価値観があります。

昔、考えた事があります。

ある先生が、Aという整骨院で、十段階で、十の評価だとします。

Bという繁盛している整骨院では、十段階で、五の評価になります。

Cという名人のやっている整骨院では、十段階で、零点零一の評価になります。

(実際問題は、面接で、アウトだと思いますが。)

本人なりに、頑張ったとしても、そこの院長次第で、「そんなの頑張ったとは、言わないよ!」とか言われてしまいます。

評価って、相対的で、難しいなと思いました。

そもそも人を評価していいのか?と悩みました。

となると、人の評価は、その評価する人次第なので、評価する人と合うと、高評価、合わないと低評価だなと思いました。

個人という意識で、生きるならば、評価は、その人自身が納得するかどうかで、本人が決める。

(私に嘘はつけない、私が、知っている)

ヌーソロジーでは、円心という概念がある。

一つの点(中心点)を中心に円を書く、もう一方は、その円周に、点(中心)を取って、円を書く、

すると、二つの円が、重なった感じになる。

説明では、円の中心と円周は全く相対的な関係であり、見方によってはどちらが中心でもあり円周でもある。

(この関係は、ミクロとマクロの関係でもあり、反転の関係でもある。)

この概念を正確に理解すると、いいですよと書いてある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

保江先生の「ついに、愛の宇宙方程式がとけました。」という本を読んだ。

先生は、京都大の大学院時代に、湯川秀樹博士の晩年に提唱されていた「素領域理論」を研究していて、

それが、2014年の9月に、また、やらなければと思ったそうである。

1、素領域理論は、物理学の理論的な枠組みの中で初めて「空間」という実在を定義することができるだけでなく、

「愛」や「霊魂」といった形而上学(けいじじょうがく)的な概念を定義することができる。

2、物質の構成要素である素粒子は、すべていずれかの素領域の中にしか存在できない。

この意味で、身体を含めすべての物質は「霊の中にのみ存在している」といえる。

つまり、霊があるからこそ物質でできた肉体が存在するのであり、「肉体が霊を宿す」のではなく「霊が肉体を宿す」のである。

3、簡単に言えば、素粒子がある地点から別の地点まで一直線に進んだように見えても、実際には「素領域1」から「素領域2」へ、

「素領域3」へ飛び移りながら進む。このとき、すべての素領域の配置は固定されているわけでなく、「愛」や「情」によって

変化することがあると考えるのが「形而上学的素領域理論」の基本に他ならない。

本の中に書かれている素領域理論の大まかなところは、こう書かれている。

良くわかる人、なんとなくわか

る人、わからない人がいると思う。

以前、先生が素領域理論は、こんな感じと簡単に説明して頂いたとき、先生に、こういう意味ですか?と確認したとき、

それは、違うと首を横に振られた。(よくわかってなかったらしい。)

この本の中では、素領域理論は、わからなくても、空間を大事にすると、人生がいい感じになりますよと書いてある。

保江先生の今までの人生は、いろんな奇跡的な幸運な人生であったけれど、振り返ってみると、空間を大事にしていたそうだ。

空間を味方にするには、➀ありがとう
➁愛
➂手を合わせる

(愛を持って、手を合わせて、ありがとうを言うのはどうでしょう? 以外と知らずに、前からやっていました。)

何回か前の稽古のとき、34年前にスイスで先生にお世話になったと主婦の方が来られました。

先生の若かりし頃の写真を見せてもらい、先生は、昔から人の為に頑張っていたんだなと思いました。

みんなは、目に見えることに、つい、注目してしまう。

物質とか、結果とか。

そうすると、例えばAさんとBさんの二人がいると、Aさんが得をしてBさん損するとか、Bさんが得してAさん得するとか、

Aさん怖いからBさん妥協するとか、BさんAさんの目を盗んでサボるとか、お互いのパワーバランスでいろいろあると思う。

でも、本当に、気にしているのは、目に見えない感情だったりする。

この場合でも、腹を割って真剣に話しあえばうまくいくと思う。(但し、私の考えが正しいと思いながら、相手の話を聞いてはダメですが。)

このとき、空間で考えると、Aさん、Bさんの二人とも、うまくいくには、更に、この空間の状況を入れて考えると、

Aさん一人より、Bさん一人より、AさんとBさん二人の考えを合わせたものより、より大きなものになる気がする。

そして、それは、Aさんも、Bさんも幸せにする。

冠光寺流の稽古に行くと、何か気分がいい、そんな感じを求めて行ったりしていた。

あるとき、10人くらいのみなさんが、このクマゴローの私を、みんなで、寝た状態から起こすというのを、

一緒にやってくれた。そのときの私の気分は、「お母さんー」と叫びたい気持ちになった。

後で、このことを考えてみた。

あっ、そうか、保江先生が、この空間を愛の溢れる状態にし、そこにいるみなさんが、より愛ある感じになり、

クマゴローみたいな松岡さんを、みんなで、起こしてみようと思ったのだと思う。

空間は、ただ、スペースだけのことでなく、認識できない何かもあると思う。

普段、当たり前と思って意識さえしなかったこの空間のことがいろいろわかってくると人生はより豊かになると思う。

空間のことがわからなくても、味方につける生き方をしても人生は楽しくなると思う。

これは、現段階の推測で、ズレているかもしれないが、人は生まれてくると、それぞれの宇宙が出来それが、

その宇宙同士が、重なりあっていて、重なっている部分のところは、わかるが、重なっていない部分はわからないという

感じになっていて、それを、一般的には、同じ物理空間にいると思っている。

だから、まず、するべきことは、本人の内面と外面を把握することかなと。(これは、推測なので、実証してみないとわかりません。)

余談、先程、来られてた患者さんに、昨日、いろいろ話して見ると意外といろんな繋がりがあったりするんですよと言う話をして、

今日、話をして、夜何食べますか?の流れで、お互い、ファミリーマートのしろくまアイスバーが好きというのがわかりました。

とにかく、いろいろやってみると、いろんなところから協力の手が差し伸べられるかなと思いました。

今までの考えと、矛盾する考えを同時に持つ、それは、同じ位置では矛盾するように見えるかもしれないが、その上の位置から

見ると、ちゃんと調和がとれているのかなと思います。

今年も、後少しとなりましたが、頑張っていきましょう!

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工藤房美さんの「遺伝子スイッチ・オンの軌跡」という本を読んだ。

工藤さんは、ガンで余命一ヶ月と告げられます。

そんな時、村上和雄先生の「生命の暗号」という本に出会います。

その本の中に、人間のDNAのうち、実際に働いているのは全体のわずか5パーセント程度と書いてあります。

工藤さんは、そこで、働いていない残りの95パーセントの部分がオンになれば、今より少し元気になるかもしれないと思いました。

本の中で、「最初の生命が生まれる確率は、1億円の宝くじに100万回連続して当たる確率とほぼ同じ、

人間は生まれてきただけでも大変な偉業を成し遂げたのであり、生きているだけでも奇跡中の奇跡なのだ」と書かれています。

この本を読んで、工藤さんは、私たちは生きているのではなく、生かされているだ。そう実感したそうです。

そして、「この身体が私の身体であってくれるあと少しの間、短い時間かもしれないけど、心を込めて1個1個の細胞と遺伝子に、

ありがとうと言ってから死のう」。そう決めたそうです。

そういう心を込めたありがとうによって、ガンが消えたそうです。

ありがとうの元の意味の、有り難いは、有る事が難しいという意味で、奇跡的という意味になります。

これの反対の意味が、当たり前かなと思います。

もし、普段の生活の中で、当たり前と思える事が、本当は、有り難いという事に気づいたら、感謝がうまれます。

昔、実家にいる時の、夕飯の時、さあ、ご飯を食べようという時、ご飯のスイッチが入っていませんでした。

もう、お腹がすいているので、何だよという気持ちになりました。

ご飯が出てくるのが、当たり前になっているので、それが、出ないのは、許せなかったのです。

それが、一人暮らしをして、当たり前でない事に気づきました。

という事は、普段の生活の中で、本人にとっては、当たり前と思っている事が、当たり前でないという事に気づき

有り難いという感謝の気持ちで、もう一度、普段の生活を見てみると、そこには、愛の溢れるそんな生活があっただなと思えるかもしれません。

物事は、どう見るかで、全く変わります。

あるのは、ただ、現象だけなのですが、そこに意味付するのは、その本人です。

であるならば、本人にとって、理想の生活が送れるような意味付をしていけばいいかなと思います。

天外さんという人が、昔、本で、全てに感謝すれば、感謝する事しか起こらないと書かれていました。

本人にとって、良い、悪いがあったとしても、それに感謝すれば、起きる事の、良い、悪いという出来事も、感謝する事になる。

それや、全てを感謝設定にすれば、全て感謝になるだろう。

でも、そういう気持ちでいると、一般的にみて、感謝出来る出来事になってくるんだと思いました。

工藤さんは、ありがとうを言うと、ありがたい気持ちが降ってくるそうです。

正しく、有り難いを実感しているありがとうだと思います。

みんながそんな気持ちで、ありがとうを言ったり、言われたりすると、幸せな空間になるかなと思います。

週末にノンデュアリティの講演会のはしごをした。

14時~17時40分までが、大和田さん、溝口さん、阿部さんと

特別ゲストの堀澤祖門さんの講演会。
 
18時30分~21時30分が、じゅんころさんの講演会。

各公演会とも、質問の時間があった。

いろんな質問があったが、まとめると、私は、これを、こう思っているのですけれど、ノンデュアリティだと、どうですか?

とか、この意味は、ノンデュアリティだと、どう思いますか?とか、ノンデュアリティになると、どう変わりますか?という感じだった。

いろんな質問を聞いていて、質問者の視点と、回答者の視点が違うなと思った。

質問者のみんなは、私という個人の意識で、私は、これを大事に思っているという価値観で、聞いている。

それに対して、回答者が、起こっていることしか起こらないとか、起こっていないという感じで答えている。

ノンデュアリティという視点になると、永遠というもの、その上で繰り広げられる表現が安心して見ていられる。

永遠というものが、私という本体だと分かると、私(すべて)は、絶対傷つかないので、その個人の人生で起こる全ての事は、

浮かんでは消え、浮かんでは消える泡のようなものと思えるので、それに、執着しない。

でも、質問者のみんなは、その目に見える表現の方に囚われてしまっている。

そこで、みんなは、どうしたら、ノンデュアリティになれるかと思ったりする。

阿部さんによれば、大和田さんは、ぼーっとしてたら、なったそうだ。

溝口さんは、椅子から、立ち上がる時になったそうだ。

阿部さんは、興味のある人は、試してみてって笑いながら、言ってました。(ぼーっとしながら、椅子から立ち上がるといのは、どうでしょう。)

ノンデュアリティでは、本当は、私がしている事、思っている事は、私がしているわけではないんですよと言っています。

であるならば、嫌いなあいつの言うあの言葉、行動は、あいつが言いたくて言っているんでないと思えるかもしれません。

また、相手に対して、つい、出てしまった傷つけてしまったあの言葉で、そんなに後悔する必要がないかもしれません。

そうは言っても、なかなか思えないかもれません。

悩む原因のひとつに、比べるがあります。

いろんな師匠、誰が、一番か?

いろんな教え、どの教えが一番か?

いろんな世界観、宇宙観、どれが、一番か?

そこで、出来れば、一番を知りたいと思ってしまいます。

ポイントは、今、その人にとって、一番納得出来るもので、心が楽なるものだと、いいかなと思います。

私自身が、実践してどんどん楽になってきたのは、調和とか、平等とかを基準にしていることです。

仕事が出来る人も、出来ない人もいるが、人間的価値は、同じ。

力の強い人も、弱い人もいるが、人間的価値は、同じ。

お金を持っている人も、持ってない人もいるが、人間的価値は、同じ。

汚れている人も、綺麗な人もいるが、人間的価値は、同じ。

頭のいい人も、悪い人もいるが、人間的価値は、同じ。

権力のある人も、無い人もいるが、人間的価値は、同じ。

優しい人も、意地悪な人もいるが、人間的価値は、同じ。

いろんな人がいますが、人間的価値は、同じというのを持っていると、

頭にくる人、嫌いな人に対して、段々と思いが変わってきます。(実践済み)

じゅんころさんに、彼氏に対して、どういう感情何ですか?と質問している人がいた。

ノンデュアリティの人がどういう感情か気になるらしい。

彼氏という、特別な存在が、ノンデュアリティだとどうなるのか?

じゅんころさんのお答え、目の前の事をしてる。

一般的には、連絡ないなとか、どうしているかなと思うかもしれないが、そこが、違うなと思った。

そういう気持ちが起これば、するだろうし、という感じだと思う。

今、この場所にいて、この一瞬で消える起こる事を、大事にしていくと、悩んでいる暇はない。

みんながそれぞれのペースで、本人なりに、一生懸命頑張っていると、後悔のない人生が送れると思う。

昔から、よく、山登りのリーダーに、松岡は、こう思うと、それだけになっちゃうからなと言われていた。

例えば、左の道と、右の道があるとする。

リーダーが、左の道がいいと言う。

私は、どうしても、右の道に行きたい。

そして、右の道に行って失敗する。

やっぱり、リーダーの言ってた通りですね。と言う。

そして、また、次も、同じ失敗を繰り返す。

もしかすると、初めから、左の道しかないと決められていたとしても、どうしても、私のその時の意識を納得させなければ、先に進めない。

そうして、失敗しても、失敗しても、納得しながら、進んでいくと、少しづつ、少しづつ、楽になってくる。

だから、Aのやり方で、ダメなら、Bのやり方、Bでダメなら、Cのやり方、Cでダメなら、別のやり方、とにかくいろんなやり方をして、

泥臭くても、カッコ悪くても、本人が納得出来るまで、やればいいと思う。

と不器用な私は、不器用というコンプレックスを、バネに頑張れている。

せっかく、生まれてきたのだから、それぞれの生きたい人生に、真っ直ぐ正面から、向き合いましょう!

松岡整骨院


千葉県市川市行徳駅前
にある整骨院です。
お怪我の際はお気軽にお越しください

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