所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 行徳 交通事故 むち打ち | 松岡整骨院 - Part 39の記事一覧
3月1日より、松岡整骨院は、8周年目に突入した。
現在、開業から、来られている方は、10人もいないかもしれない。
今、来院される患者さんは、痛い方や、症状の重い方が多い。
診察券を見ると、1年ぶり、とか、2年ぶりの方もいる。
昔は、いかに症状をとるかだけを、よく考えていた。
今は、症状が取れて、その患者さんが、ストレスを抱えて、苦しんでいたら、
本人が何かに気づく事で、ストレスから、解放されればいいと思っている。
患者さん自身が、楽になる事で、心に余裕が生まれ、今までより優しくなり、その心で、周りの人と接すると、
その心に触れた周りの人も、患者さんに優しさで返し、患者さんのいる空間がとってもいい居心地になる。
そんな優しさが、どんどん広がればいいなと思う。
昔は、いいなという考えがあると、それがいいと教えてあげた。
今は、それに気づく場をつくり、あくまでも、人生は、本人の足で歩いてもらいたいので、
選択は、本人に任せる事がいいと思っている。
みんなが、みんなそれぞれの人生を送っていて、いろんな悩みが出てくると思うが、
答えは、結局、自分の中にしかないと思う。
だから、人生は、自分探しの旅だと思う。
自分という人間を知れば知るほど、人生は、どんどん楽になる思う!
年末から、今年にかけて、個人用のパソコンのインターネットが、なかなか繋がらない。
トントンクリックしたり、祈ったりして、たまに繋がったり、何週間も繋がらなかったりしている。(今だに、原因は、分からない。)
久しぶりに繋がったので、ブログが更新出来た。
「溶ける」という井川さんの本を読んだ。
大王製紙の創業家三代目で、カジノで、106億8000万円を負けて有名になった人だ。
どういう気持ちで、このような状況になったか、興味があった。
裕福な家庭で、生まれて、何不自由なく育ち、我儘放題で、ギャンブルに狂ってしまった。
マスコミの報道を、見ていると、そういう印象を受けたが、本を読んでみると、違った。
本人が、暴君と呼ぶ厳しい父親の元で、徹底して、鍛えられていた。
父親の良い面を吸収し、結果に凄いこだわりを持ち、抽象的な事は、嫌い、具体的な行動に、重きを置いていた。
このやり方で、会社を、うまく導いて頑張っていた。
一方、ギャンブルで、病的賭博という言葉があり、これに、該当するらしい。
大きな金額を、かけないと快感が得られないらしい。(そのドキドキ感が、興奮するらしい。)
会社を背負っている、そのプレッシャーの捌け口のギャンブルかというとそうでは、ないらしい。
本人、曰く、ギャンブルが好きだそうだ。
私が、思うに、どんなに大変な状況であっても、仕事に関しては、本人なりの分析と行動で、上手く出来てしまう。
そんな時に、バカラという運の要素が、大きいギャンブルに出会った。
本人の文章によると、
カジノのテーブルについた瞬間、私の脳内には、アドレナリンとドーパミンが噴出する。
勝ったときの高揚感もさることながら、負けたときの悔しさと、次の瞬間に湧き立って来る「次は勝ってやる」
という闘争心がまた妙な快楽を生む。
だから、勝っても、負けてもやめられないのだ。
地獄の釜の蓋が開いた瀬戸際で味わう、ジリジリと焼け焦がれるような感覚がたまらない。
このヒリヒリ感がギャンブルの本当の恐ろしさなのだと思う。
と書かれている。
ギャンブルによって、彼は、初めて、心が解放されたのでは、ないかと思う。
現在、借金は、完済され、4年間の実刑の後、刑務所から、出てくるらしい。
文章の最後にこう書かれている。
一番信用できないのは、自分ー106億8000万円の代償として私が得たものは、かくも悲しい事実のみだった。
今度、出てきた時は、自分が、本当に、本心から、喜べるものを、ビジネスにするんじゃないだろうかと思う。
好きと上手に出来る(上手くこなせる)は違う。
観念の奥底に、ある本当にしたい事に気づくけば、人生は、楽しくなる。
今年は、どんどん、動いて行こうと思う!(動けば、世界が変わる)
今年の目標の内、2つは、今月達成する。
日曜日に丹沢の鍋割山に山登りに行った。
今回は、山女子の方が、二人参加された。
いつもの男性だけの部活のような山登りではなく、何かいつもと違うなと感じながら(先輩達は、女性がいると違うじゃん。)こういう感じもいいなと思った。
山女子、二人の体力は、トレーニングお忘れ気味の私よりあって、みんながおしゃべりしながら、登って、丁度いいくらいだった。
頂上に着くと、名物の鍋焼きうどんが直ぐ食べられてラッキーだった。(結構待たないと、食べられないという話だった。)
全部で、7時間の山登りであったけれど、山女子の方に、お菓子を頂いたり、コーヒーを頂いたりして、あっという間に時間が経った。
山女子の方に、山の何処が好きですか?と聞いてみた。
自信、生かされている、感謝、自然、という言葉を話されたので、感性が近いなと思った。
最近、考えている私の接し方次第で、相手がどう受け取るかの山登りの一つの意味が分かった。
私自身が、緊張していれば、相手に緊張が伝わり、相手は心を開かない。
それが、繊細な相手程、出来るだけ、優しく、優しく接しないと、その人を恐がらせて心の声を潰してしまう。
山登りをすると、普段、私自身が、押さえ込んでいた気持ち(社会のルールに従わなきゃだめとか、いい人じゃないと嫌われちゃとか、)
更に、奥底にある私自身の持っているこうでなければならない(観念)が解放され、楽になるんだと思う。
山登りをしている時は、そういう観念に囚われていない。(日常生活に、戻ると囚われる)
だから、山登りは、いいんだろうと思う。
普段、みんな、みんなの心の中にある判断基準は、本当の心の基準なのか、周りの基準なのか、考えて見ると、心が楽になると思う。
週末にテレビで、福永騎手と渡辺棋士がお互いの仕事に関して語っていた。
渡辺棋士は、将棋の棋譜の研究に15時間かけたりして、準備を徹底的にやるようにしている。
福永騎手は、「努力している人は、努力していない人には、勝てるが、楽しんでいる人には、勝てない!」と話されていた。
30歳位の時、限界を感じて辞めようと思ったとも、話していた。
それが、限界は自分が、つくって気づいて今は、動作解析とかを取り入れている。
本人の持っていない知識を取り入れることにより、今までの限界を突破している。
腱引きの師匠に、先生は、どのような勉強をされているのですか?と聞いた事がある。
解剖学の本を見て、3Dにイメージ化し、今日の治療の手順をもう一度振り返り、手数を少なくするには、どうすればいいか考える。
この話を聞いた時、流石、師匠だと思った。
それは、苦でなく、楽しいらしい。
腱引きの最高顧問の先生は、ずっと武術をされてきた方で、夢の中まで闘っていると奥さんが、話されていた。
この話を聞いた時も、凄いと思った。
努力と聞くと、一般的に苦労してとか、きついとか、頑張らなきゃというイメージがあるかもしれない。
私の苦手のものとか、私から見てなかなか出来ないものが出きる人を見ると、努力して凄いと感じるのだと思う。
これが、みんな好きな事だと何時間でも出来ると思う。(好きにもいろんなレベルがある。)
たまたま好きな事が仕事だと頑張りやすい。
ただ、実際仕事の場合、要求されるレベルは、職場によって様々だ。
その人なりに、全力でやっていて、その2倍要求されるのは、きつい。
(私の場合、5倍要求され、あるのは、怒りと〇意。その時は、気配まで分かるようになった。心の平和が一番です。)
仕事は、その職種、その職場のやり方があると思うが、それが、本人と合っていればよいが、違うときつい。
Aのやり方では、うまく出来ないが、Bのやり方でうまく、いくなら、Bでやればいいと思う。(本人に合った方法を見つける。)
ただ、どうしても、Aのやり方でやらなきゃいけない時は、一つ、一つ、意味を、素直に聞いて行う。
昔、ホットパックを、肩と腰に置くという事が、出来ない先生がいた。(17回目で、やっと出来た。)
小学生でも、出きるのに、なぜ、この大卒の先生が、出来ないか、悩んだ。
普通、普通の人は、右手は、右手と認識するのに、この先生の認識が、左手とか、違う事になっているのか、いろいろ考えた。
結局、分かったのは、話をしている時に、自分の考えの方に意識がいってしまい、言われた事を聞いていなかっただけであった。
ポイントは、素直に、人の話を聞けば、いいだけの話だった。
言われた通りに、頑張っていると、少しづつ出来るようになる。(出来ない場合は、教え方が悪い場合もある。)
苦しいかもしれないが、少しづつ出来ようになると、少し自信がつく、そうすると、心に少し余裕が出て周りが、少し見えるようになる。
そうやって、段々と努力を重ねていくと、結果が出て、どんどん自信がつく、心に余裕が出てくると、楽しむ事が出来るようになる。
(自信がつき過ぎると、天狗になるので、注意!上には、上がいる。)
世の中には、やり方は、たくさんあると思う。
昔、行った、経営セミナーの経営コンサルタントの人の考え方、異業種のやり方を取り入れる。(ただ、他の業界のやり方を持ち込んだだけ。)
その業界、業界で、漠然と行われている仕事の仕方があるからだ。(思考が停止してるとも、いえる。)
腱引きの師匠が、諦めずにやり続けていれば、いつか出来るように、なると話されていた。
この言葉に、不器用な私は、多いに救われてた。
今日、遠方から来られた患者さんと話した時の事。
料理人の方で、昔、「味をつけるのではなく味を迎え入れる」という言葉を教わったらしい。
この意味は、自分のテクニックを押し付けて、味をつくるのではなく、素材本来の力を引き出された味という事らしい。
この方自身、料理を追究されてきているので、話される事は、中々奥深い。
治療でも、テクニックをただ、患者さんに当て嵌めるのと、身体の変化、心の変化を見て、行うのでは、結果が違う。
患者さんが緊張している状態より、リラックスした状態の方が、治療効果が一般的に効果が高い。
(武術では、一度緊張させて、その後、緩ませるやり方もある。)
最近、思う事の一つは、どれだけ、徹底して、馬鹿丁寧に優しく接する事ができるか?
優しい人には、優しく接しても、大丈夫だろうが、馬鹿丁寧に優しく接する。
普通の感じの人には、普通に接しても、大丈夫だろうが、馬鹿丁寧に優しく接する。
横柄な人には、横柄に接しても、大丈夫だろうが、馬鹿丁寧に優しく接する。
元々、優しい人は、好きなので、これは、出来る。
普通の人、これも、出来る。
横柄な人と接する時、最初の頃は、心の中で、イラッとする感情が少し出て、その感情が少しすると、収まる感じだった。(まだまだ未熟です。)
これを、やり続けていると、イラッとする感情が無くなる。
山登りをしている時、確かに、キツイのだが、没頭しているとそれを、感じ無くなる。
同じように、馬鹿丁寧に接する事だけ、専心していると、イラッとする感情が出なくなった。
これを、行って良かった点は、新患の患者さんと、最初から、打ち解けた感じになって、本当に言いたい事を話してくれる事。
行っている私も、今まで以上に、心穏やかな感じになっている。
人と接する仕事で、大事なのは、どれだけお互いの気持ちが、通じ合うかどうかだと思う。
みんなそれぞれの人生で、創り上げた世界観(価値観)で生きている。(だから、分かり合うのは、難しい)
そこで、大事なのは、どれだけその人の世界観を理解するか。
その為に、どれだけ話し易い気持ちになってもらえるか。
自分の気持ちをうまく伝えられる人は、問題ない。
我がままな人は、自己主張が強いので、問題ない。
問題は、繊細な人で、本当は、いろいろ言いたい事があるのに、恐くて言えない人。
どれだけ、その人の心に寄り添えるか。
力にも、いろいろあると思うが、戦闘力、権力、精神力。
私の中にある、葛藤を見つけ、みんなの気持ちを受け入れる力をどんどん広げたいと思う。
おまけ、昨日の夜、チョコバットが当たり、今朝、77、11、8888、77、ナンバーの車4台を見た。