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院長 | 松岡 良一 |
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長田先生の「治癒を引き出すエネルギーの秘密がわかった」という本を読んだ。
今の時代、いろんな面がわかって話せる人もいるだろうと思ってこの本を購入した。
本の中で、直感には、2つある。と書かれている。
ひとつは、自分の知識経験からく来る直感。
もうひとつは、本当の自分、潜在的な部分から来る直感。
私の場合ですと、前者は、スーパー銭湯とか、治療とか、達人とか、興味のある事に、アンテナが立って、反応する感じ。
後者は、今までの経験や、考え方のデーターで捉えるのでは、なく、私(我)を無くして、その場を捉える感じ。
本当の私に必要な事に気づくって感じ。
本の中で、子供のころから体が弱いといわれてきた人は、いつまでも自分は体が弱いという観念を引きずっているかもしれません。たとえすっかり大人になってもうその名残はまったくなかったとしても、自分では気づかないうちにそんな観念に影響されていることもあるのです。
葛藤というのは、こうありたいと言葉に表していることと、潜在的な自分、本質的な自分がとらわれている観念とのずれから生まれます。そこにずれがあると、いくらこうなりたいと願っても、それに向けて努力しても、なかなかよい結果得られません。だから、何かを実現したいというときには、潜在意識に目を向けてゆくことが大切です。ただし、誤解しないでください。潜在意識のすべてがネガティブなものというわけではありません。もちろんそこには、いい考えや前向きなこともたくさんつまっています。ここで問題になるのは、顕在意識とずれのあるもの。それは、ネガティブなものが多いというだけなのです。
と書かれています。
私は、この文章で、何かひっかかりました。最初は、何か分かりませんでしたが、私も、患者さんに、葛藤とは、本当の自分と、価値観が違うと生まれるんだと思います。それを、教えてくれているんだと思います。とか言っています。長田先生は、表面的なものを、変えても、その奥の観念が変わらないと、なかなか変わらないですよと仰っております。あっ、そうか、これは、視点の違いだなと思いました。
本の中で、現在すでにとても多くの人が、肉体と感情、肉体と考え方の癖やパターンの密接な関係について理解しています。けれども、同時に、コンセプトを自分を責めることに使い続けている現状を危惧してもいます。
ただ、気づけば、いいだけだと思いますが。
私も、昔、患者さんで、格闘技をやって、痛めて、治して、また、痛めて、治して、また、痛めた時には、本当に、身体を大事にしないなと思って、ちょっと、軽く、怒りながら、嫌味を言った事があります。その時、人生の師匠の言葉が、あっ、そうだなと思いました。そこに、来る患者さんは、そこの先生と同じタイプがくるという話でした。確かに、無理ばかりさせて一番身体を大事にしてないのは、私自身だと思いました。
長田先生の僕の最大の役目は、患者さん自身が本能的な問題に気づけるようなエネルギーフィールドを作り出すこと。僕が僕自身がゼロになっていることで、患者さんの本質さを映し出す鏡のような存在になること。本来は在るだけでいい、十分なのです。「成す」「言葉にする。」ことによって、患者さんと自分の間エネルギーバランスを乱さないか、この精妙なるサジかげんが楽しいし、面白いのですね。これこそが医者冥利だと思います。
と書かれています。私も、現時点では、ここを、理想としています。
本の中には、細胞にはそれぞれ特有の周波数があります。と書かれています。
であれば、周波数が分かる人は、周波数の乱れを整える事が出来れば症状の改善に繋がると思います。
個人的な意見としましては、ポイントは、人によって、持っている観念が違う為、納得の仕方が違うという事。
物事のつながりが分かる事。(言い方を変えると、繋がりが分からないから、納得出来ない。)
例えば、氣とか、愛とか出す人がいて、それで、よくなった場合、結果よけばいいという人や、よく分からないので、何か納得出来ないという人もいます。それが、機械から、氣や愛が出て、それが、最新の光線治療なんですと言われれば、納得出来る人もいる感じがします。
実際は、なかなかそこまでやらないと思いますが、私は、こういう父親と、こういう母親からの子供として生まれ、小さい頃、こういう事があって、こう思うようになった。そうして、現在までの、歴史を語るとします。相手の方も同じようにします。そうして、この二人がお互いの事を理解します。こうすると、お互いが、自分の世界だけで、見て見えなかったものが、相手がいる事で、自分の世界を広げる事が出来るかなと思います。そうして、今、この場面のこの状況に立つとします。そうすると、一人だけでは、解決出来なかった問題が解決出来るかなと思います。
良い悪いという判断基準を持っていると、私が良いというものだけ、受け入れ、私が悪いというものは、拒否する人もいると思います。この考え方で、人生を終わったとしたら、悪いと思っているという世界の情報は、知らない事になります。本当は、ここに、私を、制限から解放する情報があるのに、もったいないと思います。どのような状況下でも通用する良い、悪いというのがあるのであれば、別ですが。だから、そこに、進む一歩として、お勧めなのが、相手の話を聞く、とにかく何度も聞く、最初は、私なら、その状況でも、そんな事しないのに、と思うかもしれませんが、それは、その部分だけみると、そう思うのですが、そう思う判断基準の元の思いがその前にあります。それを、客観的に見ると、私という人は、こういう事があって、こういう感情を持っている。それが、はんだん基準の元になっている。というふうに、私を他人ごととして、見ると、冷静に物事が見えると思います。頭の中だけでやると、分からなくなってしまうかもしれませんので、紙に書くのもいいと思います。
そうして、いつか、気づくのは、私を苦しめているのは、相手や、環境や、状況ではなく、何だ、私の制限している考えなんだというのが分かると思います。
気づいてもいいし、気づかなくてもいいと思います。気づかなくても、その人は誰かの為になっていると思います。(どうしようもなく見えても、親にとっては、可愛いい我が子とか。)そこに、葛藤を抱くのは、繋がりが見えないからです。
もし、宇宙の仕組み全てが分かれば、あっ、何だ、そういうことなのね。と、思うと思います。(*´∀`*)
ブータン人の幸福論という本を読んだ。
一時期話題になった、国民総生産でなく、国民総幸福度という考えが書いてあった。
「 朝、起きると、新しい一日が始まったことに、幸せを感じます。()
毎朝、感じるのです。もしかすると、昨晩のうちに死んでしまったかもしれない。
家が壊れてしまったかもしれない。何か大変な事がことが起こる可能性もあったかもしれない・・・・・。
だけど、すべて無事です。そして自分は今日もまだ生きていて、健康で・・・・・。
これはとても幸せなことですよね。このことは、新たな始まりでもあるのです。 」
こういう風に何も起きない事が、幸せと感じれるといいのですが、どうしても、それが、当たり前になると、感謝の心が無くなってしまいます。
「 もしあなたが、この世の中はつまらないと感じるならば、それはあなたの心がつまらないからです。
あなたが今の生活に満足し、きれいで澄んだ心を持っているならば、世の中は輝いて見えるでしょう。
今、あなたが見ている世界は、あなた自身を表しています。
なぜなら、すべてのことは、あなたの捉えかたや見方次第で変わってくるからです。なんでも自分次第、ということです。 」
高校の時に、なぜ、ここにいるのかに悩み、担任の先生に、鹿野山の禅寺にいくので、休ませてくださいと言い、禅寺に行った。
この禅寺の和尚さんが、禅で求めるのは、自分も他人もなく、考えられる事と仰っていた。(この時は、それは、難しいだろうと思った。)
この禅寺に、行ったお陰で、2週間は、周りの雑音が、気にならなかったが、それ以降は、やはり雑音が聞こえるようになった。
この時、父親が、言った言葉は、そうなるのは、分かっていた、だが、お前が熱くなっていたので、行けば分かるだろうと。
この時、私は、和尚さんより、父親の方が凄いなと思った。(やるな、父ちゃん!)
父親は、山で修行して、いい精神状態になったとしても、それを町中で維持するのは、難しいというのが、分かっていた。
そう簡単に、息子の中身が、変わるものではないだろうと、だが、やってみて、経験する事で、納得するだろうとそこまで読んでいたと思う。
親は、子供が心配でいろいろ言うと思う。子供によって、それを素直に聞ける子、うるさいなと思う子、
聞いて頭では、分かっているが、心が納得しない子。親によって、いろんな伝え方があり、子供によって、いろんな受け取りかたがあると思います。
自分と他人を同じように、思うとは、自分の右手と左手で、右手は、好きだけど、左手は、嫌いという人はそんなに居ないと思います。
それを、自分と他人と分ける事で、比較し、そこに、優劣を感じ、それが、悩みの原因に、なっています。
今は、出来るだけ、様々な知識、経験をし、全体の中から、そこに関わる人がどんな見方をし、物事に取り組んでいくかを考えています。
単純に考えると、全体を考えて動けばいいと思うんです。
だけど、それが出来ないという事は、全体が、見えていないという事だと思います。
いろんな経験をし、今、全体がうまくいくためには、自分がどう頑張らなきゃいけないかを考えればいいと思います。
個性を伸ばすという言葉を最初に聞いた時、いい言葉だなと思いました。
今、個性は、単なる我儘になっている気がします。
ブータンの人の分かち合いの精神、思いやり、親を敬う、今の日本に、必要だと思います。
と、常にわかちゃつているつもりの私は、調子に乗ると、先輩や、師匠方に、熱いご指導を頂きます。(すいません、私が浅はかでした。)
今年も、あと少しですが、最後まで頑張っていきましょう!
日曜日、月曜日に、山梨県の南アルプスの鳳凰三山に山登りに行く。
初日、6時間、二日目、8時間だそうだ。
今回は、山小屋に泊まるので、必殺の冷やしが、使えないので、身体が、快復しないまま、二日目の山登りとなる。
過酷だ!
さらに、天気は、微妙だ。
なぜ、山に登りたいかと聞かれたら?
以前は、修験道の修行的な意味を、求めていたが、今は、ただ、山の空気が、単純に吸いたい為からと答えるだろう。
これからの人生、いろいろとあると思うが、山を登っているその瞬間だけは、その時の自分を見つめていると思う。
山で身体と心が、鍛えられ、山で、自然を感じ、心が、ピュアになり、人間も自然の一部と感じられる。
そんな魅力が、山には、ある。
さて、鳳凰三山、どんな山登りになるだろうか?
日曜日に、日光白根山に山登りに行った。
最初、勘違いをしていて、以前行った草津白根山だと思って、温泉は、あるのかなと聞いたらないと言っていたので、
今回は、コースが、違うのかなと思っていたら、山自体が、違った。
朝から、雨が降っていて、山登りの時も、最初は、合羽着ていた。
登っていると、途中で、山登りの集団に追いつき、譲って頂いたので、そのまま抜かせていただいた。
譲っていた以上抜かれては、悪いと思いペースを上げたままいたら、二人組みの60代後半の男性が、前にいたので、
抜かしては、悪いと思いペースを落とした。
昔、山登りのガイドさんが、山登りでは、うさぎみたいに、ペースをあげたり、ペースを落としたりが、一番バテルので、ダメだと聞いた。
その悪い登りかたをしたので、非常に疲れた。
やはり、その人に合ったペースで登るのが、大事と再確認した。
努力という言葉が、ある。
私が、好きな言葉である。
天才という言葉がある。
私が、憧れる言葉である。
昔から、夢のような事を考える事が、好きだった。
昔は、それを、努力なしで、そうなる事を、待っていた。
だが、いつまで待っても、そうなる事は、なかった。
今は、理想が、あると、それに向かって努力すると、なんとか、うまくいくように、なってきた。
努力というと、足りない所を補ってというイメージが、あり、そこに価値がある感じがする。
頑張る姿は、心を打つ!
目標が20という力で達成出来るという時、そこにマイナス5があり、それを、努力で、
修正して、無くすという考えが、一つある。
もう一つは、20に、マイナス5があり、そこにプラス5をという考えがある。
どちらも、目標に対しては、クリア出来ている。
欠点を修正するか、得意なところを伸ばすか?
得意、不得意というのも、どの場にいるかで変わる相対的なものである。
みんな、自分の中に、こうでなければ、ならないというものが、あり、それが、多い人程、
心が、自由になれない。
立場的に、強い人は、それを、強制したり、弱い人は、そこに、葛藤が、強くあると思う。
みんな自分の心の奥底にある、判断基準は、正しいのかという作業をすると、
もっと分りあえるのになあと思う。
最近、整骨院で、後片付けを、している時、福山雅治の「家族になろうよ」という曲を、かけている。
どれほど深く信じ合っていても
わからないこともあるでしょう
その孤独と寄り添い生きることが
「愛する」ということかもしれないから
という歌詞が、あり、なかなか、深いなあと思っている。
同じ屋根の下に、二人の人間が、暮らしている。
それぞれ違った環境で、育ち、違った価値観を持っている。
そんな二人なら、お互い、なんでこの気持ちが、わからないの?(孤独)
という事が出てくると思う。
それは、違った価値観を、持つ二人だから、しょうがない。
ただ、その時、相手を愛していれば、理解しようと努めるだろう。
二人が、同じ立ち位置にいて、あなたと私の中で、問題を解決しようとする場合、
お互いが主張するタイプの場合は、妥協ということになるかもしれない。(損得で計算するから)
お互いが思いやりを持つタイプの場合は、自分の事より、相手が大事なので、
相手が、喜ぶ事が、自分の喜びなので、うまくいくと思う。
主張するタイプと、思いやりのタイプの組み合わせだと、主張するタイプが、我儘し放題でも、
思いやりのタイプが、相手の為に尽くしてくれるので、うまく、いくだろう。
主張するタイプが、いつか、その思いやりに気づくと、自分の態度を省みて、優しくなるだろう。
もうひとつは、あなたと私と、 個と個と考えないで、
家族という共同体を、一心同体という気持ちを持って考える事が、出来るとバランスが、とれると思う。
問題は、同じレベルと解決しようとすると、無理が、きやすいと思うが、ひとつ視点を上げると解決すると思う。
福山さんは、違った価値観を持ったが二人が出会い、日々の生活の中でお互い傷つけたりあってりするけど、
段々と家族になっていくんだよ。
というメッセージを、訴えているのかなと思った。
今回、福山さんのこの詞をみて、やっぱり、それぞれの分野で追求している人の言葉は、深いなあと思った。
ルックスも、声も、考え方も、生きかたも、かっこよすぎる。
だから、多くの人に、愛されるのだろう。
理想は、人それぞれ違うと思う。
ある人にとっては、家族と、過ごす時間だったり、お金を稼ぐ事だったり、偉くなる事だったり、遊びまくる事だったり、旅だったり、
とにかく、おしゃべりだったり、自分をみつめたり、いろいろ、あると思う。
その為には、まず、自分にとって、何が、一番大切か、考えてみるのが、大事では、ないだろか?
家族を幸せにする為に、お金を稼ぎ、もっと、たくさん稼いだ方が、家族が、幸せになると、思い、頑張って、仕事!仕事!
収入は、増えたが、心が、離れたでは、本末転倒だと思う。
家族でも、亭主関白、かかあ天下、みんな尊重しあう、いろいろあると、思う。
例えば、お父さん(ご主人)が、家族の為に、いつも、仕事が、忙しいとします。
この時、お母さん(奥さん)が、うちのお父さん(ご主人)は、家族の為に、お仕事頑張っていると思っているか、
仕事ばっかりして、家族の事を、ほっといてと思うか、
また、お母さん(奥さん)が、普段、家事をしている事に対して、
お父さん(ご主人)が、お母さん(奥さん)が、頑張って家事をして、家を守っていてくれているから、僕は、頑張れると感謝しているのと、
私は、一生懸命仕事しているのに、家で、ごろごろしていると思っているのか、
相手に対して、損得で、考えるのか、思いやりで考えるのか、
また、自分の相手が、どういう考えの人によるかで、同じ行動でも、相手の受け取り方が、違うと思います。
相手の頭の中は、普通、読めないので、とにかく、コミュニケーションを、とる事が、大事だと思います。
お互い相手に求める理想の姿が、あると、思いますが、それが、お互いの理想通りなら、素晴らしいと思います。
そうでない場合が、多いから、いろんな葛藤が、生まれると思います。
その葛藤が、その本人に気づきを与えるきっかけになると思います。
なぜ、私が、苦しまなければいけないのかと思い相手のせいにしていると、本人の成長は、ないと思います。
いつも、同じ問題で、自分自身を苦しめる事に、なるでしょう。
今、理想の家族が、あるとします。
それでも、お互いの成長の度合いは、違うと思います。
そこで、また、葛藤が、生まれ、気づきが生まれると思います。
日々の暮らしの中で、葛藤が有り、気づき、成長していくのかなと思っています。
毎月、一回、日曜日に埼玉で、筋整流法(古式腱引き)の伝承会に、参加している。
この筋整流法は、柳生心眼流の中の筋絡の流れに、小口先生の頭脳が、プラスされて、出来きあがったものである。
詳しくは、今月の月刊秘伝を、読んで見て下さい。
この筋整流法で、驚いたのは、ぎっくり腰の治療の時であった。
昔から、あ!痛た!た!と患者さんが、来られて、あ!痛た!た!と帰って行く。
冷やしたり、電気をかけたり、軽くもんだり、テーピングをしたり、コルセットをしたり、その分だけ少し軽くなるが、患部は、あまり良くなってない。
これが、いつも、患者さんに、申し訳ないと思っていた。
私の場合は、今まで、普通のぎっくり腰の治りかたは、強い痛みが、7日から、10日で落ち着き、朝だけ、痛いのが、無くなり、
何をしても大丈夫というのが、通常1ヶ月ぐらいだった。
ぎっくり腰で、なかなか治らないと言って来る人や、酷くして、来る人は、だいたい、お風呂か、押しているか、動かしているか、
どれかをやっていた。
筋肉の繊維を痛めているので、冷却と、安静が大事と思っていて、その修復に、時間が、かかると思っていた。
それが、筋整流法では、腰には、4つの筋(腱)が、あって、これが、ズレルのが、ぎっくり腰の原因と言っている。
解剖学的には、ない筋(腱)をあるという所を触ってみると、指先には、確かに筋(腱)が感じられる。(初めての時は、分らなかった。)
その筋(腱)が、外側にいっているので、内側に引いて、本来ある場所に、筋(腱)にやると、よくなる。
私の場合、今の実力だと、10を5にすることは、出来る。(うまくいくと、4回で治ったりする。)
患者さんが、腰を曲げて来ても、だいたい普通に歩いて帰れるようには、なっていると思う。
では、半分痛みのある状態で、お風呂に入っていいのだろうか?
筋整流法では、家に帰って、よーく温まってくださいと言う。
ただ、今まで、さんざん、お風呂が、ダメと言ってきた人が、お風呂がいいですよというのは、怖い。(1分ならいいですよと言っていた。)
まったく、痛みが、なければ、お風呂で、温まってくださいと言えるけど。
そんな時、以前来たことがある頑丈そうな患者さんが、ぎっくり腰で、来院した。
筋整流法の治療をすると、身体を曲げていたのが、楽になり、半分ぐらいになった。
先生、だいぶ楽になりましたというので、〇〇さん、普通は、お風呂ダメだけど、この治療法では、お風呂に入ると楽になるというんで、
お風呂入って、痛くなったら、ごめんねと言いました。
次の日、患者さんが、また、楽になりましたと言ってくれたので、お風呂は、いいんだなと思いました。
そこで、一つ疑問が、湧きました。
ぎっくり腰で、一般的には、冷やせ、
筋整流法では、温めろ
まったく、逆です。
今までの経験で、お風呂に入ったら、悪化するか、治りが遅かったりしました。
これは、どういうことか、考えてみました。
今まで、悪化したり、治りが、遅かったのは、筋(腱)が、ズレタ、捻れた、状態で、膨らむので、神経に当たって痛くなっていた。
筋整流法では、それを、正常な位置の方に引くので、痛みが出ないのかと思いました。
今まで、何十年と接骨業界で、やってきて、筋(腱)が、ズレル、捻れる、知りませんでした。
今は、知らなかった、筋(腱)が、ズレル、捻れるという概念が、入ったので、改善率が、あがりました。
世の中には、知らない事が、たくさんあると思います。
それを知っても、理解出来ないから、受け入れられない人が、いると思います。
私の場合、判断基準は、治るか?治らないか?だけなので、理由は、いりません。
筋整流法の場合は、解剖学の知識を、頭に入れて、指先の感覚を鍛え、解剖学の知識を基に、皮膚の下をイメージできる人には、
いいと思います。(難しいですけど。)
指先の鍛錬は、電話帳の紙の下に、髪の毛を入れて、何枚目に入っているかを当てて、それを、どんどん、増やして、分るようになると
いいと言われています。
筋整流法の先輩達は、筋反射というもので、原因を、特定したりしています。(今は、まだ、感覚が、つかめていません。)
筋整流法に、出会えてよかったのは、その治療に対する意識の高さだと思います。
整骨院では、患者さんに、先生!凄いですね!と言われ、ちょっと、天狗になりそうですが、
伝承会に行くと、いつも、緊張します。
このバランスが、いいのかなと思っています。
物質的な治療を求める方には、お勧めだと思います。