所在地 | 〒272-0133 千葉県 市川市 行徳駅前2-22-2高橋ビル1F |
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電話番号 | 047-300-3820 |
FAX | 047-300-3821 |
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院長 | 松岡 良一 |
Blog記事一覧 > 腰痛、肩の痛み。 | 松岡整骨院 - Part 9の記事一覧
週末に、スーパー銭湯に、行った。メインは、いろんなお風呂と水風呂の組み合わせで、身体と心を回復させる。
ある時、水風呂に入っていると、血管の中の血液が、炭酸のように弾けていた。
これが、私的には、水風呂の境地と思っている。
ある時、そこにいる全ての人との一体感を感じた。
普段、生活していると、身体や、心が固まってくる。
そんな時、本人なりの回復法を持っていると、こころ強い。
私の場合は、疲れてもうダメだという時は、船橋のラーメン屋さんで、つけ麺を食べ、船橋のサウナのお風呂、水風呂、ジャグジーを繰り返し、90分程入っていると、完全復活する。
他にも、行きつけのスーパー銭湯や、漫画喫茶という方法もある。
患者さんを観ていて、パソコン系のお仕事の方や、ストレスの多い職場の方は、身体や心が固まっている方が多い。
頑張る事を続けていると、それが普通になるので、身体や心が固まってもそれに気づかないようになってしまう。
そうして、凄くひどい症状になってやっと、来院されたりする。
人によって、体力や、精神力も違うし、職場のハード差も違う。
人は、疲れてくると、考えるのも、億劫になり、思考も固まってしまう場合が多い。
そうなる前に、本人なりの、身体と心の回復法を持っているといいのかなと思う。
最近、思う事は、結局、人は、目の前の事しか関われない。
であれば、人によって、仕事が大事、家族が大事、趣味が大事、私が大事、いろいろあると思うが、その本人が一番大事にしたいものを、目の前に持ってこれるようにするのも、ひとつの生き方かなと思う。
その方法として、いろんな情報を知っていたり、いろんな話が聞ける耳(つい、聞きたい話、聞ける話、聞きたくない話と、判断してしまう人が多い。)を持つのが大事かなと思う。
困った時は、本人が頑張る方法もあるし、人にアドバイスしてもらう方法もあるし、人にやってもらう方法もあるし、知らんぷりする方法(笑い)もあるかもしれないし、いろんなやり方があると思う。
とにかく、いろいろやってみると、気づく事があると思う。(実証済み)
そして、気づいた分だけ楽になると思う。(*´∀`*)
日曜日にオリエンタルラジオのトークライブに行ってきた。
パーフェクトヒューマンを動画で、観て、凄いなと思い、しくじり先生の動画を観て、いろいろあったんだなと思った。
そんな二人が、現在は、どんな感じが興味があったので、行ってきた。
会場は、女性ファンが多かった。
トークライブでは、新たに撮った発信前のPVの映像と、裏話をあっちゃんが熱く語っていた。
この話を聞いて、あっちゃんは、自分のやりたい事を徹底してやり遂げるタイプだなと思った。
慎吾ちゃんの方の話は、伊豆にいいサウナがあって、そこに、友達と行った話をしていた。
この話を聞いて、慎吾ちゃんは、人と仲良くするのが、大事だと思っている協調性のとれたタイプだなと思った。
最後に、アンケートを書くと、握手出来る券となっていて、そこにダメ出しお願いします!と書かれていた。
このアイデアは、素晴らしいと思った。(しっかり二人と握手してもらった。)
細かい事を言うとすると、アンケートを書く時間が、もう少しあると、いいなと思った。
そうは言っても、凄くクオリテイーは高いと思う。
今は、あっちゃんがアイデアを考え、それを徹底する姿勢と、慎吾ちゃんの調和のとれた人に対する情の姿勢がうまくマッチしていると思う。
あっちゃんは、力の世界で生き、慎吾ちゃんは、愛の世界で生きている感じがする。
お互いが、信頼関係の元に、更に、互いの価値観を認める事が出来れば、最強コンビになるのかなと思う。
面白かったです。
ありがとうございます。
朝、通勤の時、スクーターで走っていると、お母さんが自転車で前に、ちぃちゃな赤ちゃん、後ろにおねえちゃんを乗せて走っていた。そのちぃちゃな赤ちゃんが手を振ってくれた。それだけで、幸せな気分になった。この赤ちゃんの姿が正に、愛そのものだと思う。つい、人は、相手の為に何かをしてあげようと、思って、したりする。それは、それで、素晴らしいのだが、そこを、待って、その相手が本当にしたい事が出てくるのを、待ってあげると、その相手の口から本当の気持ちが出てくる。赤ちゃんは、そんな、みんなが本当の気持ちを出しやすい気持ちにさせてくれる。毎月、月二回行っている保江先生の道場でも、そんな場が出来ている。そこは、本人が本人自身の心に気づいた分だけ、楽になるそんな所になっている。赤ちゃんのように、愛される愛くるしい存在になりたいと思う。(今は、むさ苦しい感じですけど。笑い)
続・謎の空手・氣空術という本を読んだ。
最初は、あっ、こういうやり方をしているんだという読み方をしていたが、読んでいるうちに、
ここに登場する人達のいろんな思いに、共感する読み方になった。
武道、武術に関わる生き方がある。
その関わり方は、その関わる人によって、いろいろあると思う。
そして、それを通して、自分を知るという事だと思う。
最初は、私がいて、対象物があるという捉え方だと思う。
そして、いつか、これが、私の世界だと分かる気がする。
本の中で、桃塚さんという方が登場する。
畑村会長と一緒に苦楽を共にしてきた心の友だ。
それだけに、畑村会長は、桃塚さんの事をみんなに知ってもらいたい。
炭粉先生は、桃塚学という、悲しいほどに目立たない男がいる。
と書かれている。
「氣空術の稽古を初めて行う人は皆さん固い。固い。けれどもそんな人を桃さんと組ませて稽古させると、
途端に柔らかくなってきて氣空術のうごきができやすくなるねん。」
と畑村会長。
本の中の印象だと、畑村会長と桃塚さんは、陰陽の陽と陰の感じがする。
陰陽は、見え方の違いなので、情熱が表に出ている畑村会長、情熱を内に秘めてる桃塚さん。
そして、いつも、二人で、稽古している時の会話は、
「もうこれ以上無いのだろうか?さらにすごい先生とはもう巡り会えないのだろうか?」でした。
と書かれていて。
そして、平成二十一年九月、私は岡山市野山武道館で保江邦夫先生と邂逅(かいこう)します。
戻って直ぐに桃塚さんに電話を掛けたのは、言うまでもありません。
「あったで桃さん!やっと見つけた!ホンマもんを・・・・・・」
と畑村会長は、書かれています。
興味のあるものには、アンテナが立ちます。
それを、追究していると、アンテナの感度が上がります。
また、自分自身も、信号を発しています。
ずーっと、追究してきた結果、アンテナの感度が上がり、保江先生の発している信号をキャッチしたと思います。
物事は、そこに、興味がないと、あっても、見えません。
本当に、心から、追い求めるものがあるのは、幸せだなと思います。
それが、生きがいになり、その行動が、別の人の生きがいを生むと思います。
まず、今いる場所で、目の前の事に本気で取り組むと、何か見えてくると思います。
それを、続けていくと、どんどん、楽になります。(実践済)
まず、最初のうちは、努力や、根性で、どんどん積み上げて、やってみて、そして、積み上げるやり方で、対応出来なくなったら、どんどん外すやり方でやってみると、いいと思います。(実践中)
「謎の空手・氣空術」という本を読んだ。
炭粉先生が、推薦の言葉の中で、
「威力ある技はその威力故に、耐えられる。
威力なき技はそれ故に、耐えるべき対象が、ない。」
これこそが、氣空術の本質!
「氣空の拳」とは誠にもって、よくいったものだ・・・・・・即ち
「汝の敵を愛せよ」を唯一の理合とする冠光寺眞法と、ピッタリ符号するのです!
と書かれております。
意識で、感知出来れば、今まで積み重ねたもので、対応出来ると思いますが、
意識で、感知出来なければ、努力や、根性で、鍛えた身体をもってしても、対応出来ないと思います。
「動きや力の配分をどんなに完璧に踏襲しても、全くの徒労!」と書かれております。
愛魂というのが、あるのか、無いのかで、全然違うという意味だと思います。
私が、昔、山登りの一番最初の山で、三つ峠という山を登りました。
そこのコースは、短い時間のコース、長時間コース、岩登りのコース、もうひとつコースがあった気がします。
同じ、三つ峠という山登りというした事では、同じですが、中身が全然違います。(この時、凍っていて、滑って、尾骨骨折しました。(´・ω・`))
三つ峠という山登りをしたという話を聞いただけでは、その違いは分からないと思います。
であれば、一見、外側から見ると、同じ動きでも、ひとつ、ひとつ、精査する事で、この人には、効くけど、この人には、効かないというのが、なくなってくると思います。
意外とあるのが、別の技法で、その事が出来たとすると、つい、そういうものかなと思ってしまいますが、果たして、それが、師匠に通用するのかは、難しい気がします。
畑村会長は、「保江先生の柔術は、冠光寺眞法の愛魂の理合をそのまま柔術に通したもので、そのため冠光寺流柔術と呼ばれますが、先生によれば眞法の愛魂は柔術のみならずあらゆる人間行為に通すことができるとのことでした。ということは、我が空手にも通すことができるはずです。これが、氣空術のそもそもの発想でした。」
と書かれております。
私のイメージでは、無償の愛という完全球体を、みんなは、その一部分を、平面に、捉えて、愛という解釈をしているので、それぞれの愛が違ったりする。でも、それも、無償の愛の一部。
保江先生も、「愛には高貴な愛や低俗な愛などと区別は存在せず、どのような愛も愛であることに変わりはないのです。」
と書かれております。
保江先生が、畑村会長の事を、「かねてより密かに目標としていた己の姿ー限りなく透明に近い愛ーが、そう、既にそこにあったのだ。この僕に一つの大発見があった。活人術をするに、何も襲いかかってくる相手を愛する必要すらないということを。自分自身が愛になり、しかも限りなく透明に近い愛となっていさえすれば、ただ自然に動けばそれが愛魂(合気)になるのだから。」
と書かれております。
愛そのものになれば、全ての行動が、愛のある行動となります。かといって、いきなり、それを、目指すのは、大変かもしれないので、まずは、好きな分野で、それを、マスターしている師匠と関わるのが、いいと思います。
畑村会長の空手の話の中で、畑村会長が、強い初代の前田会長に、必殺・飛び後ろ回し蹴りを喰わそうと、思ったら、会長に完璧に封じられた話や、前田会長の弟さんと、稽古して、二人で、銭湯に行って、空手着を脱いだら、お互いの胸に、拳の後があって、嬉しかったと書かれております。本当に、空手が好きというのが、伝わってきます。
拘りは、頑張る原動力になると思います。
でも、拘りが、物事を、見えにくくもします。
そんな時、その人の好きな分野で、畑村会長や、炭粉先生や、保江先生のように、愛というエネルギーが分かった人が、世の中にどんどん増えてくれば、そこに参加する事で、より、充実した人生を送りやすいかなと思います。