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2017年 7月

日曜日に東京の町田の島津先生の所に行った。

今回、一緒に参加している先生が、島津先生の身体を借りている時に、

島津先生が、「ああ、千日の行屁一つ。」と仰った。

どういう事かというと、その先生は、力を抜いてるつもりは、ないのに、無意識に力が抜けていた。

この言葉の意味は、ずーっと一生懸命頑張っていても、たったひとつの事で全てが台無しになる。

そういう意味と先生が仰っていた。

それを、聞いて私が思ったのは、島津先生の場合は、一瞬、一瞬を真剣に生きているので、その一瞬が気が入っているとか、抜けているとかが分かるんだなと思った。

流石、先生と思った。

もうひとつは、先生が、マッサージと腱引きは、違うんだよと仰った。

たぶん、2回くらいその言葉は、聞いていて、内心そんなの分かっているよと思っていたが、今回分かったのは、先生の仰っている腱引きと、私の思っている腱引きが違うことだった。島津先生に、「先生、それは、こういう意味ですよね。物事は、ある人は、それを、レベル1で話し、ある人は、レベル3で話し、ある人は、レベル10で話したりしてるんですよね。」 それを、受けて、先生は、お弟子さんの時代に、師匠から、お前のおちょこでは、俺のどんぶりで注ぐと、いっぱいこぼれちゃうなと言われたと話てくれました。

そして、バカとその場で怒られるというのは、大事という話も教えてくれました。

その場で、強く怒られると、その場で、覚え、記憶に残るそうです。確かに、恐ろしい顔で、怒られると、記憶に残ります。出来るだけ次は、怒られないようにしようときをつけると思います。私自身は、怒られるとか、好きではないのですが、この話を聞いて、怒られるというのも、本人の為になるんだなと思いました。

更に、帰り気をつけてねというお話も教えてくれました。

私も昔、親から気をつけて帰ってねと言われた時、そんなの分かってるよと思った時がありました。でも、この師匠が弟子にいうその言葉は、師匠は、弟子がそういう気持ちになるのを、分かっているけど、あえて言うことで、それを、意識させるという事でした。(油断させないように。)この話を聞いて、深いなと思いました。

 

他に、痛み刺激は、自然治癒力を上げるというお話と、柳の合気のお話を教えて頂きました。

 

今回、いろいろなお話を聞きまして、思いましたのは、武術は、凄くいろいろ考えてるなという事と、どうしても、人は、安易に、何かいい方法が手に入らないかなと思ってしまう人が多いと思いますが、結局は、凄いものを手に入れようと思ったら、私の器を大きくするしかないなという事でした。

島津先生を見てまして、思いましたのは、先生は、質問したら、それに答えて頂けるけど、質問しなければ、答えてくれないなと思いました。何十回も、先生にバカと言われながら、少しづつ器を大きくしたいなと思います。

いつも、ありがとうございます。

これからもよろしくお願いいたします!

松岡良一

 

 

 

 

 

 

土曜日の夜に仕事が終わってから、新宿で、焼き鳥を食べ、カプセルホテルに泊まった。

今回は、静岡の悪友金ちゃんとサマーランドに行くという話になっていたので、それに合わせて、朝、歩いたり、夜、オレンジジュースだけにしたりした。案の定、焼き鳥をたくさん食べた。サマーランドに行くと、余程、見た目が、怪しかったのか、ゲートのボデイチェックが手荒かった。何とか、無事に入ることが出来て、綱を掴んで、動く丸太の上を歩くというのを、やった。いざとなったら、腕力だけで、いけると思ったが、しっかり落っこちた。笑(なかなかサスケのようには、いかない。)流れるプールで、金ちゃんが熱くウルトラマンの話をしていると、近くにいた男の子(4歳ぐらい)が、ウルトラマン好きなの?と声をかけてきた。ちなみに、その男の子は、スパイダーマンの水着をきていた。笑  そして、とにかく、いろいろ食べまくっていた。今回、プールに来ている人、家族連れ、カップル、男子グループ、女子グループを見て、人生いろいろだなと思った。いろんな形の幸せがあるなと思った。それを、比べたり、するから、葛藤が生まれるんだろうと思った。そして、その家族連れは、私の別の人生、そのカップルも、また、私の別の人生、その男子グループもまた、私の別の人生、そして女子グループもまた、私の別の人生と思ってみると、その人達が、幸せだと、私も幸せな気分になりました。人生は、その人のそのままが出ます。うまくいかないと思っている人は、人の顔色を窺うより、私のしたい事をする。私の思い通りやろうとして、うまくいかない人は、実力が足りないか、私の中に邪魔するものがあるか見てみる。私を知ろうとする時、相手がいた方が、やり易い。私だけで、私を知ろうとするのは、難しいし、独善になってしまうかもしれない。ひとつ言える事は、私の世界は、私の分かる範囲でしか分からない。あなたの世界は、あなたの分かる範囲でしか分からない。であれば、私の世界は、私が創り。あなたの世界は、あなたが創る。普段の生活で、ひとつ、ひとつ、あなたが、納得して、腑に落とすという事をやっていけば、人生は、充実する。(実証済み)

 

 

患者さんから、お菓子頂きました。

ありがとうございます!

(*´∀`*)

山ちゃんから、整骨院に何か送られてきた。

開けてみると、私がいつか、食べてみてかった出川さんの実家の海苔だった。

山ちゃん、流石、よく分かっているね。

ありがとう!

(*´∀`*)

ふと歩いていて、生死と愛は、どんな関係なのか?と考えた。

命がけで、事にのぞむというのは、素晴らしいと思う。

愛で、事にあたるといのも、素晴らしいと思う。

人としての究極が、生死になる。

もし、死というものをベースに物事を考える事が出来ると、無いのが当たり前なので、ちょっとした事でも、ある事に感謝が出来る。亡くなられた日野原先生が、ラジオで、命は、その人の時間という事を仰っていた。命を限られた時間と捉える事が出来ると、時間を大事に使うと思う。

生きる事がベースで、あるという事が当たり前だと、無いと不足を感じ不満が出る。面白いのは、あるをベースにすると、無い事に注目し、無い事をベースにすると、ある事に注目する。

今、いろいろやってみて、分かったのは、必死になると、ヤバイとなり、身体の細胞がみんな協力してくれる。みんなが協力してくれるから、凄い力が出る。(火事場の馬鹿力)普段の意識から、真剣な意識(愛の意識)

例えば、普段、仲の悪いチームが、別のチームに潰されそうになった時、本当は、仲良くしたくはないが、そんな事言ってられない状況なので、みんな一丸となる。この状態が愛。

愛は、調和そのもの。生と死があって、はじめて人生となる。死がある事で(寿命)、生が輝き(感謝が生まれ)、生がある事で・・・ここで、筆がとまってしまった。(どうしても、私自身が、100パーセント納得していないと、言葉が出ない。)

死は、愛と同じものであると思うが、検証していないので、今は、語れない。

が、生と死は、セットで、生は、死がある事で、存在し、死は、生が関わっていると思う。

今、言える事、個人の視点の究極が、生死、その場の視点の究極が、全体を大事にするという考え方の調和(愛)。

どの視点で、考えるかがポイントだと思う。

頑張っていきましょう!(*´∀`*)

松岡整骨院


千葉県市川市行徳駅前
にある整骨院です。
お怪我の際はお気軽にお越しください

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