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2016年 2月

3月1日で、開業して、10周年目に入る。

整骨業界は、私が入った時と比べて、非常にのんびり出来ない感じになっている。

昔は、おじいちゃんやおばあちゃんに、いい天気ですね、とか、言ってマッサージして、

最初の頃は、腕の力だけで、ほぐしていたので、土曜日ぐらいになると、腕が上がらなくなったりした。

そんな事をするうちに、ほぐすだけでは、症状が改善しない人が出てくるようになったので、講習会とか、行くようになった。

世の中には、いろんな治療法があり、いろんな先生がいた。中には、胡散臭いものや、怪しいものもあったが、

その中には、本物もあった。(私の場合、基準は、ただ、効果があるか、ないかだけなので、外側は、関係ない。)

そんな感じで、いろんな先生や、患者さんと会い、いろいろ考えているうちに、患者さんと、向かい合う姿勢が、どんどん深くなった。

今年、一年の成果としたは、今まで、短気で、怒っていた人が、怒る事が殆どなくなったという話を聞くようになった。

地道な、身の周りからの草の根活動をしている気がする。

個人的に好きなものは、調和とか、平穏とか、仲良くとか、愛とかなので、そのような世界を、構築している。

いろんな人生があっていいと思う。

生とか死というのを、意識して暮らすと、命が生き生きして、凄く充実する。

ぼやっと、生きると、いろいろ億劫になる。

やりきった人生とやり残した人生があるとしたら、みんなは、どちらを、選ぶのだろう?

たぶん、やりきった人生を選ぶ人が多いと思う。

であれば、なぜ、今、全力でやらず、言い訳をしているのだろうか?

人に対する言い訳はまだいい、人生最後の日に、後悔に気づくのは、勿体無いと思う。

小学生の頃、全力で、やるのが、怖かった。

それは、もし、全力で、やって、それでも、ダメだったら、私という人間は価値が無いというのが、怖かった。

今は、全力で、やる、それで、ダメだったら、しょうがないと思っている。

全力でやる。そうすれば、後悔がない。

私なりの全力は、私が納得する。

他人の評価は、関係ない。

私の人生は、私が決める!

 

 

喜怒哀楽という言葉がある。

怒り、悲しみは、嫌いで、喜び、楽しみは、好きという人は、多いだろう。

小学2年生の時、そろばんを辞めると言って、父親に、そろばんで、頭をカチ割られた。

そろばんは、飛び散り、頭から、血が出た。

その時、良一少年は、思った。今は、小さくて、ダメだけど、いつか、大きくなったら、やっつけてやる。

これが、生まれてからの、最初の怒りだったと思う。

今となっては、九州男児の父親にとって、長男は、期待の星であり、期待をかけていた息子が、弱音を吐くのは、

情けなくて、歯がゆかったので、怒りが沸いたという気持ちが分かるのではあるが。

昔、いろんな患者さんや、友達に、親にどういう怒られ方をしたかを、聞いた事があった。

それは、子供は、知らず、知らずに親の影響を受けていると思ったからであった。

父親の場合は、祖父に、火箸で、叩かれたらしい。だから、父親からは、そろばんだったり、通知表を貰うとき、拳骨を貰った。

そういう事もあってか、私は、短気な人が嫌いであった。そのくらいで、怒らなくていいのに、と思っていた。

仲良くすればいいのになぁ、と思っていた。かと言って、短気な人に、注意は、怖くて、出来なかった。(父親の場合は、父親なりの理由があった時しか怒らなかったが。)

小学生の時に、暴れ者の転校生が、殴りかかってきた事があった。気は弱かったが、力だけはあったので、地面に押さえつけた。今まで、人に意地悪した事なんて、一度も無いのに、何でだろうと思った。これは、20年後の小学校の同窓会で、番長と話をした時に、番長の差金というのが分かった。今思うと、力で、勝てないので、うまく、転校生が勝てば、自分の思い通りに出来るという小学生の計算だったみたいだ。

地獄の3年と思っている、病院に勤務の時代、ストレスで、お腹が痛くなったり、足が曲がったりした。

短気な先生がいて、その先生の言う事を、全て、はい、はい、と聞いていた。

ある時、先生の言われる通り、患者さんに、説明をして、処置をしていた。

その時、先生がそれは、違うと言った。

仏の顔を今まで、1万2000回くらいはしていたと思うが、流石に、これには、頭にきた。

患者さんが、帰ってから、先生に手を出すと、壊せる自信は、あったので、危ないと思い、病院の壁に、拳をつけ、

怒りをぶっけた。大きい、バーンという音がして、壁に穴が空いた。怒髪天の力は、凄いと思った。

そして、先生に注意をした。今思えば、この先生が力を誇示するには、弱い者に対してでしか示す事が出来なかったというのが分かるのだが。

整骨院のグループに勤めている時、分院長候補の柔道をやっている先生が、主任さんに、殴りかかっていった。その先生を抑えて、そのまま整骨院の外まで、出した。その先生が、アイツには、分からせなきゃダメだから、怒ったふりをしたんですよと言った。私は、怒ったふりが出来るなんて、凄いなと思ったが、後で、考えてみると、どう見ても、目は、いっちゃてるので、キレて、殴りかかって、いって、冷静になって、そういう理由をつけたのが、本当の所だろうと思う。

私は、短気な人が嫌いで、内心、短期な人に怒っていた時期があった。

短気な人は、怒りが外に出ているので、怒っているのは、分かり易い。

分かりにくいのは、一見、大人しい感じなのに、心の中に怒りを溜めている人だと思う。

怒りは、溜めると、身体の調子を悪くして、しまう。

怒りを、負けず嫌いとして、原動力にすると、頑張る力が沸いてくる。

私も、怒りを、努力、根性の原動力として、活用していた時期もあった。(糞真面目プラス怒りだったと思う。)

喜怒哀楽の、喜び、楽しみという感情は、多くの人に好まれる。

例えば、今が戦いの世の中であったとしよう。

この時、好まれるのは、怒りや、悲しみという感情では、ないだろうか?

身内がやられたから、相手をやる。

相手の方も、身内がやられたから、こちらをやる。これが当たり前。

今の日本から見ると、負の連鎖に見えるかもしれない。

不毛な戦いに見えるかもしれない。

喜怒哀楽、本当は、ただの感情に過ぎず、そこに、優劣はない。

そうは言っても、喜びや、楽しみで生きたいですよね。

であれば、なぜ、怒ちゃうのか?考えたり、なぜ、悲しいのか?考えたりするか、

相手のその喜怒哀楽の奥にある、愛を感じ取る事が出来れば、敵はいなくなります。(実証済み、これが、難しい。)

一生懸命、頑張っていきましょう!

 

 

 

 

 

 

昔、ある時、例えば、アフリカの人に、日本の情報があれば、凄く生活が便利になるのにという話をしていて、その為には、アフリカの人がその情報を手にいれるにはどうしたらいいか?という質問を、山登りのリーダーにした事があった。この質問の意味は、今、いる所と、別の場所では、文明が進んでいて、今いる所の人が、進んでいる所の情報が手にいれられれば、便利なのになぁ、からの質問であった。それに、対し、リーダーは、その人、その人によって、その場所にいる意味があるので、という感じで答えてくれた。この当時の私の考えは、便利な方法を使うであった。

今は、どう考えるかというと、例えば、アフリカのある部族が狩りをするとする。そこに、ライフルというものを持ち込む。すると、狩りは、楽かもしれない。便利である。一方、ライフルがない部族の人は、木の槍で、狩りをしていたとする。すると、ライフルと違って、狩りは、楽ではないので、槍の尖らせ方を考えたり、木の種類を考えたり、獲物の習性を考えたり、獲物の追い込み方を考えたり、いろいろ工夫すると思う。便利は、楽でいいが、考える力を奪う。元々、便利なものを生み出すのは、不便があって、それを、解決した結果が便利になるのではあるが。ライフルという武器に頼っている人は、槍を使っている人より、身体を使っていないので、身体が弱くなる。便利なものに頼ると、本人のいろんな力が弱くなる。

便利じゃない状況だと、工夫しなければならないので、苦労を知っている。苦労を知っていると、感謝の気持ちが生まれる。

便利が当たり前になっていると、感謝の心が持ちづらい。

私が、ある部族の生き方をしていたら、いろいろ大変かもしれないが、毎日、生きるという事だけを考えて、充実した生活を送っているかもしれない。

一見、便利という事は、よさそうだが、もしかすると、別の喜び、を奪っているかもしれない。

また、違う視点から見ると、便利になった分、本人の興味のある事に時間を使えるという場合もあると思う。

便利というのは、効率を求めている人には、喜ばれる。

ただ、いろんな人を見ていると、仕事が出来るというのは、たくさんの事が時間内に出来るのが、仕事が出来る人と思っている人が多いが、そんないろんな事を処理出来る能力が高いと言われる人が、以外と、本人の求めるものは、そこにはなくて、本人の感じる充実感だったりしている。

便利な世の中になれば、なるほど、簡単に出来ない事は、面倒くさく感じるかもしれない。

便利な世の中になれば、なるほど、苦労はしなくていいかもしれない、でも、苦労というものは、充実感を生んだりする。

苦労したから、大切にする。苦労したから感謝の気持ちが分かる。

物事は、捉え方次第で、どうとでもとれる。

という事は、同じ事を見ているつもりでも、人によって、全く違う見方をしている。

考えるのが、苦手な人は、いろんな意見を聞いて、その中から、自分に合うのを、選択するのが、簡単かもしれない。

行動するのが、苦手な人は、いろんな人の行動を見ていて、その中で、やれそうなものを、選択するのが、簡単かもしれない。

どう生きようが、その人の人生、であるならば、好きに生きたらいいと思う!

 

マイ・インターンという映画のDVDを観た。

内容は、インターネットで洋服を扱う、若き女性社長と、会社を定年したシニアの人がこの会社にシニアインターンとして入っての物語。

この映画を観て思った事は、世の中が、どんどん便利になってる分、傷つけない、傷つけられないという表面的な関係が生まれたり、逆にバーチャルがリアルになったりしているなと思った。そして、求めているのは、人と人の繋がり。どこまで、その人と関わるか?どれだけ真剣に関わるか?それには、パワーがいる。直接的に関わる方が、失敗した時、ダメージが大きい。でも、洗練されたやり方より、より、その人が出るので、本人的には、納得し易いと思う。ひとつ、ひとつ、やり方に拘って、私らしさを見つけるのが、本人にとって、納得の人生になるのではないかと思う。その時、その時の本人の持っている意識が納得を目指すのが、人生を有意義に過ごす秘訣だと思う。私の求めるものに、妥協しない。なぜ、こういう事を私自身が書いているか、客感的に眺めてみた。そうすると、見えてくるのは、本人が制限を創って、本人が制限によって、縛られて、苦しんでる人が多いなと思っている私がいる。なぜ、苦しんでいるのか?それは、本人が創っている制限に気づかないからだと思う。では、どうすればいいのか?ひとつは、人の話を聞く。ひとつは、本人自身の判断をひとつ、ひとつ検証して、それは、本人が本当に納得している判断か確かめる。知らずに、親の判断、知らずに、日本の常識、知らずに時代が入ってたりする。出来るだけ、多くの情報を集め、相反する概念も置きながら、その中で、本人納得の答えを見つける。拘りがある意識の時は、とにかく、何でも、思いっきりやれば、本人納得の人生となると思う。拘りがない意識であれば、物事をただ、楽しめばいいと思う。その本人にあわせて、お好きな方、どちらでも大丈夫です。(*´∀`*)

誕生日のプレゼントに、悪友(裏親友)の金ちゃんから、栄養ドリンクを頂き、みなっしーから、ハーブソルトと、万歩計を頂いた。(みなっしーは、もしかして、これ以上大きいサイズの白衣はないので、院長を、痩せさせようと、企んでいるのかもしれない。笑い。)

ありがとうございます!(*´∀`*)

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松岡整骨院


千葉県市川市行徳駅前
にある整骨院です。
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